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2007年10月19日(金)更新

林 雄二郎と「森」を見る会(第1回)で先生に惚れ直す

昨日、デジタルメディア研究所 橘川 幸夫さんの呼びかけで
林 雄二郎と「森」を見る会(第1回)が開催されました。

今年お会いできた中でも、最も強烈でありがたい師は
林 雄二郎先生でありましょう。

林 雄二郎先生

40年前に書かれたと思えないソフトな予見書「情報化社会」と
今なお益々元気闊達融通無碍の境地で
わが道を楽しく歩み続ける先生の生き方に
まさに衝撃を受けたのです。

元来、長生きしたいと強く願ったことは無かった私も
還暦までは助走ではないかと気づきました。
それを過ぎてからこそ勝負と
気合いを入れ直したのです。

この「森」を見る会では、
50代から10代まで、林先生に惹かれた有志10名ほどが
車座で先生を囲み、夢のような数時間を過ごしたのです。


情報化社会

この会は、なぜ「森を見る会」と命名されたか。

それは、昨今の学者や専門家が、
「木を見て森を見ず」どころか
「葉っぱさえ見ていない」ことを
林先生が大いに憂いているからです。

昨日も、先生の怒りは静かに爆発しました。

林先生曰く、秀才は掃いて捨てるほどいる。
中には魅力のある人もいるが....
多くの人は欠点は「1を聞いて10を知る」
から疑問を持たないこと。

考えない秀才より考える鈍才が必要。
(考えない鈍才だと困るが)

秀才は質問をしてこない。

しかし、奇特な鈍才はわからないからこそ
家に帰ってから一所懸命考える。

だからこそ、思いもよらないことを
思いつく人もいる。

むしろ鈍才から学ばされる。

自分で考えるということが大切....。

ということで、鈍才の私も
自分の頭で考えることを条件に
参加させていただけるのだと心に銘じました。



昨日お聞きした感動的なエピソードの中から
ひとつご紹介いたしましょう。

それは、先生が逆定年制を思いつく
きっかけとなったできごとです。

経済企画庁時代に留学していたパリで、
先生は、よく町中の小さな公園に
散歩へ出かけたそうです。

そこでは、いつもお年寄りが
ひなたぼっこをしていました。

当時のフランスでは年金生活が
約束されて食うのには困らなかったそうです。

しかし、特にやることもなく
日がな公園で時を過ごしていたのです。

やがて仲良くなった老人は
「若い人にはわからないだろうが」と
前置きして、しみじみ語ってくれたそうです。

「私たちは穀潰し。世の中に役立っていない。
 つらいもんだよ。」

今でも、その時の老人たちの
寂しそうな様子が目に浮かぶそうです。

そこで、老後の幸せを約束するのは
お金の問題だけではないと先生は気づきました。

そして、お年寄りが誇りを持って働ける
公職を用意する「逆定年制」を思いついたのです。

ところが、帰国後、年金問題についての審議会に参加すると
悲しいかなお金の話しか議論に上がっていません。

そこでが年金問題のエキスパートという
長老教授に、逆定年制のアイディアをぶつけました。

しかし「気持ちはわかるけど書生論」と片付けられて、
専門家は真面目に聞こうとしないのです。

なぜ?

想像力がないから?
自分とは違う考えの人に興味がないから?
人の悲しみに共感できないから?
楽しい生き方を追い求めていないから?

しかし、40年も先を行く先生は、
孤立感を味わったことはないとおっしゃいます。

声を大にして言っていれば
やがて理解者や仲間が現れると。


さて、果たして私は...
いくつになっても、人が好き、知らないことが好き、
考えること好きで、自分の考えを声高に発信し続けられる
素敵な鈍才になれるでしょうか?


 ▼林雄二郎と「森を見る会」へのご招待。
  http://www.demeken.net/weblog/2007/10/post_53.html

 ▼情報化社会
  http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0055

 ▼1969年に情報化社会を予見,林雄二郎先生の講演録
  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20070724/278113/



久米 信行
久米繊維/Art T-galaxy.com
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