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オーガニックコットンなど厳選素材で謹製した最高級国産Tシャツに世界で1枚のプリントを!老舗メーカー三代目の第二創業記
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この細腕のどこにパワーが。絶望的な状況にあって、どこから笑顔が....。
カンボジアでお会いした尊敬すべき日本人のおひとり、田中千草さん。2007年に青年海外協力隊でカンボジアに赴任して以来、現在は単身、公立学校のアドバイザーとして、またNPOアナコットカンボジアのリーダーとして、草の根から同国の教育復興に奮闘努力されています。
とっかかりとして音楽教育で楽隊を指導されていますが、本当に目指されているのは、教師の意識改革と教育なのです。なぜ?それは同国の教育の現状を知ればわかります。
▼カンボジアにおける教育の現状
カンボジアでは1970年代からおよそ20年にわたって、内戦が続いた。
その内戦の中、1975年、ポルポト政権が成立。
共産主義を掲げたポル・ポトは、教育は資本主義を教え込む元凶と捉え、それまであった学校を次々に破壊し、教材や本を焼却していった。
それだけではなく、知識のある者は資本主義を生み出す敵として捕らえ、虐殺していった。その数は200~300万人と言われている。
この時、教育を行う教師は徹底的に捉えられ、虐殺されてしまった。
学校、教材だけでなく、教師も失ったことにより、カンボジアの教育基盤は完全に崩壊した。
ポル・ポト政権が失脚した後、生き残った人たちにより教育の立て直しが行われたが、ほとんどの教師を失った事実は、容易に乗り越えられるものではなかった。
教えられる教師がいないから、字が読めるだけの人が教師になった。
算数も国語も社会も理科も知らず、教育のことを何も知らない教師たちが教育を行うしかなかった。
そして、その時の教育を受けた子供たちが、今大人となり、教育を行っている。
▼田中千草さんのプロフィール
1978年北海道根室市生まれ、芦別育ち。学校卒業後、芦別小学校、茂尻中学校で勤務。 2007年1月より2年間、青年海外協力隊小学校教諭としてカンボジアの小学校に勤務。音楽教育を中心とした支援活動を行う。 2009年4月より、JICAという組織を離れ、個人としてワット・ボー小学校へ再赴任。 同年に非営利団体アナコット カンボジアを設立。 校長補佐として学校運営の助言、教員の指導と子どもたちへの音楽指導を行い、また就学が困難な児童への就学支援も行っている。 現在、家庭の事情により学校に通うことのできない子どもたちとともに暮らしている。
▼アナコットカンボジア
http://anacott.web.fc2.com/
ああ、なんと美しい出で立ちでしょう。身にまとう優しい色合い、輝き...そして笑顔。クメール伝統織物研究所の森本 喜久男さんとお会いできて、お話ができて、心から感動いたしました。身も心も暮らしも、何もかも美しい。ライフスタイルというより生き様、ファッションというより活きた服...全てに憧れてしまいます。
ご当地で活躍する日本人社会起業家のみなさんとの楽しい雑談ランチの後、森本さんにお願いして、ファッションを撮影させていただきました。特にお気に入りは、むかし木こりの人が履いていた作業着をもとにデザインされた袴。タイの生地を染めて作り、30年以上愛用しているそうです。
「作務衣はちょっと違うと思う」
森本さんの言葉に、我が意を得たり。日本人が着るべき、理想の服というのを、私は探し求めてきたのですが....この森本さんの服がまるごと欲しい。販売していないそうなのですが、ぜひ作ってもらいたいとリクエストいたしました。
「久米さん、ありがとうございます。うれしいです、この素敵な江戸時代からの木こり作業袴「たつけ」と岐阜の白山の裾野の石徹白村で呼ばれています。普段着やよそ行きで着れるパンツです。ジャージやジーンズがいらなくなりました。そんな、とてもスゴレもの、スムースで履いている違和感がない、すごい伝統の知恵の結晶だと思います。ぜひ、皆さんに履いていただき、広めたいですね。わたしの夢は、もういちど普段着の世界でのキモノが蘇ること。この江戸時代からのキコリパンツもそれに通じるものだと思います。釜石の方で地元の女性たちの仕事を作る事業を立ち上げておられる、元青年協力隊の女性がおられます、そんな方達に、仕事を作ることと、つながれば、なおいいですね。よろしくお願いいたします。(森本さんからのご返信)」
クメール伝統織物研究所のホームページで森本 喜久男さんのプロフィールを見れば、誰もが驚くことでしょう。美しいものと出会うことで、思いもしない方向に人生が展開することもあるのです。
京都生まれの手描き友禅の職人だった森本さんは、バンコクの博物館で目にしたカンボジアの絣布に魅せられます。そして、アンコールワットにほど近い地で「伝統の森・再生計画」に着手して、今では、自然と人間が共生する22ヘクタールものコミュニティを築き上げたのです。カンボジアの人たちの伝統的な美しい暮らしを取り戻す村を、日本の職人が作ったのです。
▼社会貢献支援財団 表彰者紹介ページより
http://www.fesco.or.jp/winner/h22/241.php
カンボジアの伝統絹織物である絹絣に魅せられ、 1996年にクメール伝統織物研究所を設立し、内戦により失われつつあったクメール織の技法復活と貧困層の支援のため活動を始めた。2003年にアンコールワットがあるシェムリアップの広大な敷地で「伝統の森プロジェクト」を開始し、養蚕、餌となる桑の植樹、染料になる虫の育成から糸を紡ぎ、染色、機織りと製品化までの全てがこの森で完結する伝統織物の継承とさらに食糧の自給生産から教育の全てをまかなうための施設を運営されている。
▼森本 喜久男さんのプロフィール
http://iktt.esprit-libre.org/2005/06/post-141.html
ぜひ、このYoutubeを見てください。パリコレよりも森コレに行きたい!と思うはず。
森本 喜久男さんが築き上げた「iKTT伝統の森」で、牛の神様の儀の後、「伝統の森」で、伝統の手仕事を学んだ女性たちが織りあげ身にまとった「IKTTの布ファッションショー」が開催された時の動画です。森も、人も、布も、何もかもが美しく見えます。デジタルやネットではなく、森の中で、輝く陽光の下で見たいのです。
▼カンボジア☆ユーチューブ情報局ブログ記事
http://www.cambodialife.mobi/cambodia/businessjapanese/1582
次回、アンコールワットを訪ねる時には、森本さんの「伝統の森」を必ず訪ねます。そして、おそろいの服を着ても似合う人になりたいのです。
▼IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
http://iktt.esprit-libre.org/
社会貢献支援財団の視察で、一二三日本語教室を訪ねました。鬼一二三さんは1995年よりアンコールワット遺跡への玄関口シェムリアップ州で日本語教室及び図書館を開き、日本とカンボジアの交流事業を続けています。
きっかけは、元のご主人がJICAにおつとめでカンボジア勤務となり、急遽、日本語教師になるように言われたこと。その後、ご主人とは離縁されますが、その後もカンボジアひとり残って、日本語教室を続けられています。
お手元にあるのは、鬼さんが作られた教科書「日本語ガイドの基礎知識」。この教科書が画期的なのは、フリガナ(ルビ)が上ではなく下に書いてあること。そうすると、下敷きなどを教科書に重ねて、下にずらしながら=答え合わせをしながら、効率的に勉強ができるのです。
▼一二三日本語教室とは
「一二三日本語教室」は世界遺産アンコールワットの在る観光地シェムリアップ州に位置し、月~金曜の午前5時~午後10時、入門~上級各レベルの日本語クラスを担当しております。 学習者の目的は主に日本語習得により観光業に携わること、日系NGO等へ就職することですが、近年日本への留学を目指す学習者も出て来ております。学習者は20歳前後の高・大学生を中心に、社会人、日本人配偶者や日系子女等3歳~40歳と幅広い年齢層の人々で、皆其々の目的に向かって熱心に学んでおります。 日本語ガイド研修・日本語能力試験対策・スピーチコンテスト出場者訓練等の短期集中コースも随時開講致しております。 昨今の学習者増加、職業別・幼児クラス等のニーズへの対応策とし、新校舎建設事業支援を行っております
http://www.ijci.net/p/blog-page_86.html
一二三日本語教室の教育スタイルは、学校というよりも、むしろ私塾。鬼 一ニ三さんは、先生というよりお母さんでした。
20日で10ドルという低価格で、来られる時間にやってくる学生たち。家族や親戚を大切にするので、家の手伝いもあり、フルタイムは難しい子供たちも多いからです。また、突然、来なくなる学生もいるそうです。気がつけば、どこかに就職していたりする。そして、突然、復帰したりする。日本流で言えば「不義理」となりますが、カンボジアでは当たり前。そんな時でも、鬼先生は受け入れるそうです。
ここにいるのは、何年も学んでいて、スピーチコンテストにも入賞する優秀な教え子たち。絆プロジェクトで東北の被災地を訪ねてくれた学生や、日本での留学や就職を夢見る学生もいます。
ここにも学生たちの川柳が張り出されていました。鬼 一二三先生は、夢を持てばかなうと、書き初めや川柳で夢を言葉にすることを推奨されているそうです。印象に残った川柳をいくつかご紹介しましょう。
カンボジア いつまでもずっと いたいです
こいびとが なければいきる いみはない
がんばれば 成功するぞ 何事も
わたしには どこでも だれでも せんせいだ
べんきょうは としをとっても おわらない
けいけんに かねとがくもん ひつようだ
きょういくは 国の心に なるべきだ
うそみたい 日本語うまく なってきた
金持ちも 私の心は 買えないわ
ゆめきぼう しあわせになる ちかみちだ
https://fbcdn-sphotos-c-a.akamaihd.net/hphotos-ak-frc3/t1/p403x403/1662057_10152246006644648_753661932_n.jpg
鬼 一二三先生は、才能あるカンボジアの若者=教え子たちが、日本の大学に留学したり就職することを、とても嬉しそうに話されます。同席した「知恵熱くん(みんなあだ名で呼び合います)」の日本語も秀逸でした。絆プロジェクトで日本に行ったこともあるのです。いつか日本に留学して、私の明治大学の講義にも参加してもらいたいものです!
https://fbcdn-sphotos-a-a.akamaihd.net/hphotos-ak-ash3/t1/p526x296/1939880_10152246010704648_1624824636_n.jpg
最初に校舎を目にした時は驚きました。見てください。実は、予算の関係で、まだ校舎は建築途上なのです。20日10ドルの授業料で、それも住み込みの学生まで養ったり、進学の支援をしたりで、なかなか建築は進みません。教育は、校舎よりも先生や先輩が大切です。それでも、いつか篤志家のみなさんや立身出世した教え子の寄付で、立派な校舎が建つ日が来ることを祈っております。
▼一二三日本語教室
http://www.ijci.net/p/blog-page_86.html
私たちのクルマが到着するのを見ると、子供たちが駆け出してきてくれました。こんなに目がキラキラした子供たちに歓迎してもらえるとは思いませんでした。なぜなら、ここは孤児院だからです。
ここカンボジアでは、悲惨な内戦で家族を失った子どもだけではなく、貧しさや親の無責任から捨てられる子どもも少なくありません。そんな子供たちを一人でも救おうと、僧侶の内田 弘慈さんと、園長のソリカさんが力を合わせて、この孤児院を作り守っているのです。
「ここにいる45人の子供を、大人にして助けて行きたい。私が倒れるまでがんばりたい」
ソリカさんは、園長というより子供たちのお母さんでした。500人近い孤児たちを守り育ててきました。
「田舎には大変な子供がいっぱい。井戸掘りも行く。お水が一番大事」
内田 弘慈さんが始めた井戸掘りは、既に810本にものぼり、1000人もの貧しい田舎の子供たちを助けたのです。
「ポルポト内戦の時、自分も助けられたから、もっと自分も助けたい」
その一心で、内田さんが病気で倒れ、車いすの生活となった後も、引き継いで続けているのです。(手前左側が内田さん)
カンボジアの田舎の子供たちは貧しく、教育が受けられません。日本のように年齢で学年が決まるわけではなく、12歳でも小学1年生の子がいるのです。田舎では生活できないため、親は他の国に出稼ぎに行きます。中には、帰って来ない親もいます。おじいちゃん、おばあちゃんは年を取ると子供たちを預かれなくなってしまいます。やがては、どろぼうになってしまうこともあるのです。
「子供たちの夢は日本語ガイド、ドクター、日本の会社につとめること」
注)カンボジアの学校は、午前、午後に分かれているので、
写真には全員は映っていません。
だるま愛育園で現在暮らす子供たちは45人。3歳から21歳までいるそうです。お兄ちゃんお姉ちゃんが、小さな子供たちの面倒を見たり、目標になったりするのです。
学校の勉強だけでなく、将来の夢に合わせて、日本語やITの勉強をしたり、伝統芸能などの習得も応援しています。
ガムランの演奏も聴かせていただきました。彼女は、日本語も堪能で、今春、福岡でインターンをするそうです。
園長のソリカさんは、こうして子供たちが夢をかなえていくこと、家族を作って訪ねてくれることが、何より幸せだそうです。
どうです? この自信に満ちた顔。凛としたたたずまい。
子供たち全員の歓迎の歌はかわいらしく、一緒に輪になって踊った歌も楽しかったのですが、このレベルの高い舞踊に驚きました。
カンボジアの民族舞踊を愛し、生徒にも稽古の機会を提供している、山本日本語教育センター山本校長も、彼女たちの踊りを褒めていました。
ただ日本語を学ぶのではなく、地元の文化も継承して欲しいのです。
だるま愛育園には、子供たちが手しごとで作った商品を、自ら販売する、小さな工房ショップもあります。
私たちは、おすすめのカシューナッツをお土産に買いましたが、こんな笑顔に囲まれて買い物をすると、なんだか幸せな気分。
だるま愛育園を応援する「カンボジアこどもスマイル」のホームページでも、現在は2商品だけですが販売しています。私も現地で買いそびれたハッピーブレスレット(10本セット2000円)を買おうかな。
▼ようこそ、DARUMA SHOP へ!
カンボジア孤児院だるま愛育園の自活、そしてそこに暮らす約55名の子ども達が将来自立できる力をつけるサポートをするために、ここにDARUMA SHOP をオープンしました。
だるまの子ども達が一生懸命手作りしたものを中心に扱っています。
(子ども達手作り商品はmade by daruma表示)
商品としては、まだまだ立派なものではないかもしれません。
しかし、夢へ向かっての行動をサポートするフェアトレードとしてあたたかく見守り、子どもたちのぬくもりを感じられる作品を気に入って頂ければと思っています。
お買いものすることで、彼らの夢を実現するお手伝いができます。
売上は、子どもたちに最大限還元されるよう使われます。
http://www.ccsmile.net/shop.php
▼社会貢献表彰「だるま愛育園 内田 弘慈さん」
http://www.fesco.or.jp/winner/h20/225.php
▼NETIBニュース 孤児448名を送り出す、だるま愛育園
http://www.data-max.co.jp/2013/09/27/448_dm1806_4.html
▼だるま愛育園。日本での応援窓口
http://www.ccsmile.net/
2014年02月28日(金)更新
【カンボジア視察7】写真寓話「時を超えた王が見た黎明」
1 アンコールワットの夜明け前
私は、アンコールワットの前で
カメラを構えていました。
美しい朝日の写真が取りたかったのです。
しかし、いつまでたっても朝日が昇りません。
朝が早かったので、ふと目を閉じて、
一瞬だけ眠りの国へ引込まれました。
そして、再び目を開くと、
私は驚いてしまいました。
あれほど、たくさんいたはずの
観光客やカメラマンの姿が見当たらないのです。
それどころか、空も、アンコールワットも
見たことのない色とかたちに変わっていたのです。
2 黄金の夜明け
次の瞬間、アンコールワット中央にそびえたつ塔が
みるみる輝きを増していきました。
見たこともないような金色です。
何かが始まる。そんな予感がしました。
私は言葉もなく
その場に立ち尽くしました。
3 輝ける塔とひらめき
塔の先端から、
黄金のように輝く太陽が
顔をのぞかせた時
私は瞬時に思い出しました。
はるか昔、私がこの地で
何をしていたかを。
そしてこれから
どんな戦いに巻き込まれるかを。
気がつくと、私は
王の出で立ちをしていたのです。
4 蓮の花たちの静止
王として、アンコールワットに帰る。
その決意を新たにしたまさにその時、
蓮の花が静かにゆれておりました。
私には、それが帰還を祝福して
くれているように見えたのです。
しかし、蓮の花たちは
必至で私を引き止めようと
していたのでした。
私には、蓮たちの叫びが
聞こえなかったのです。
5 王を笑う悪戯な石
「ほうらやっぱり行っちゃったよ」
王と蓮の花とのやりとりを見ていた
いたずら石は笑いました。
「どんなことが待っているかも知らないでね」
蓮たちは静かにゆれながら言いました。
「...きっと、あの王さまならうまくやってくるわよ。」
いたずら石は、また大笑い
「それは、どうかな....。
まあ、お手並み拝見だね。はは」
王さまの後ろ姿は、みるみる小さくなって
アンコールワットに吸い込まれて行きました。
既に、その巨大な建物の中には
誰ひとりいないことも知らずに....
6 花を紡ぐ少年たち
王は、アンコールワットの中で
誰かいないか叫び続けました。
回廊という回廊を歩き回りましたが
誰ひとりいないことに気づきました。
王は、絶望しながら、門を開け
橋を渡ってお壕の外に出ました。
そして、いくあてもなく
歩き続けました。
どれだけ歩いたかも忘れたころ
牛と少年の姿が目に留まりました。
最初は、しゃがみこんで
何をしているのかわかりませんでした。
じっと見ているうちに
何かに没頭していること気づきました。
少年たちは花を拾っては
一本の糸につないでいき
レイを作っていたのです。
そして、できあがったレイを
何も言わずに王に差し出したのです。
7花を紡ぐ少女の笑顔
さらに歩き続けると
王は、また小さな子供に会いました。
ふたりは姉弟でしょうか?
道路の路肩で
一心に何かをしています。
ふたりは花を摘んでは
黙々と糸に通していました。
道端に落ちた花さえ無駄にせず
美しい飾り物にしていました。
その尊い姿を見て
にっこり微笑む笑顔を見て
王はくよくよするのをやめたのです。
8 王が水浴した池「スラスラン」の輝き
その池は金色に輝いていました。
黄金の水面に吸い寄せられて
王は大切な使命を思い出しました。
そして元には戻れない
ある決意をしたのです。
9 母に抱かれて見た風景
王が、朝日で黄金色に輝く
スラスランの池で沐浴をしていると、
どこからか懐かしい歌が聞こえてきました。
それは遠い昔、聴いた子守唄。
見れば、池のほとりを
赤子を抱いた母親が歩いておりました。
その歌声を聞いて
王は母に抱かれて見た風景を
思い出していったのです。
10 怖いものがなかった時の記憶
王だった私が思い出したのは
少年の頃の記憶でした。
なにひとつ怖いものがなかった時代の思い出
未来を疑うことなどなかった時代の思い出
11 プレループの急階段と眺め
子守唄で甦った子供の頃の記憶。
先祖の霊を弔う寺院の急階段。
ここを昇れば、私が治めていた国の
すべてが見えるはず。
しかし...
一気にかけのぼった祠堂の上から
目に飛び込んで来たのは
私が知らない風景でした。
12 朽ち果て行くバンテアイ クデイ
王は、昔あれほど美しかった寺院が
崩れ落ちている風景を目にしました。
その痛々しい姿を見ると
自分の心まで傷つけられたような
気がしたのです。
砂は長い年月をかけて岩となる
その岩は祈りと共に寺院となる
美しい神や仏に、女神ともなる
しかし、ひとたび戦になれば
瞬時に崩れ落ちるのだ
そして大木にも足をさらわれ
また砂に戻って行くのだ。
王は、その無惨な光景の前に
ひざまずいて泣きました。
13 バンテアイ クデイを動かす根
崩れ行く寺院の前で、うなだれて泣く王に
やさしく語りかける声がありました。
「もう泣くでない」
泣くの休んで、あたりを見回しても
不思議なことに誰もいないのです。
「もう泣くでない」
その声は....声というより振動は
寺院をも動かそうとしている
巨大な根から聞こえてきました。
その根におそるおそる触れると
脈を打っているのがわかりました。
14 バンテアイ クデイで仏像と出会う
「寺院の中に入ってみよ」
巨大な根の声に背中を押されて
王は、壊れかけた寺院の中に
入って行きました。
天井が落ちた回廊を
歩き回っているうちに
突然、仏像が現れました。
かたわらには老人が座っていて
王にお線香を差し出しました。
王は手を合わせながら
仏さまの顔を見ました。
そのやさしくてあたたかい表情は
王の凍りかけた心を溶かしました。
そして、先ほど見た
名もなき子供たちのほほえみとも
重なって行きました。
王は、この時はじめて
自分の本当の使命を悟ったのです。
15 王の誓い。花売りの子供たち
仏像の前で、長い瞑想と祈りを終えると
王は、すっくと立ち上がりました。
そして、今一度、誰もいない
アンコールワットへと引き返したのです。
かえり道の橋の上で、
また小さな子供たちに出会いました。
王は、子供たちにあいさつをすると
子供たちもほほえみをかえしてくれました。
王は、三人をまとめて抱きあげました。
そして、心に誓いました。
「これから、私は、この国の
すべての子供たちの父となろう」
既に、朝日は高く昇っていました。
もう一度、おひさまは日の出の
あざやかな茜色に戻って
王を祝福したのです。
(おわり)
私は、アンコールワットの前で
カメラを構えていました。
美しい朝日の写真が取りたかったのです。
しかし、いつまでたっても朝日が昇りません。
朝が早かったので、ふと目を閉じて、
一瞬だけ眠りの国へ引込まれました。
そして、再び目を開くと、
私は驚いてしまいました。
あれほど、たくさんいたはずの
観光客やカメラマンの姿が見当たらないのです。
それどころか、空も、アンコールワットも
見たことのない色とかたちに変わっていたのです。
2 黄金の夜明け
次の瞬間、アンコールワット中央にそびえたつ塔が
みるみる輝きを増していきました。
見たこともないような金色です。
何かが始まる。そんな予感がしました。
私は言葉もなく
その場に立ち尽くしました。
3 輝ける塔とひらめき
塔の先端から、
黄金のように輝く太陽が
顔をのぞかせた時
私は瞬時に思い出しました。
はるか昔、私がこの地で
何をしていたかを。
そしてこれから
どんな戦いに巻き込まれるかを。
気がつくと、私は
王の出で立ちをしていたのです。
4 蓮の花たちの静止
王として、アンコールワットに帰る。
その決意を新たにしたまさにその時、
蓮の花が静かにゆれておりました。
私には、それが帰還を祝福して
くれているように見えたのです。
しかし、蓮の花たちは
必至で私を引き止めようと
していたのでした。
私には、蓮たちの叫びが
聞こえなかったのです。
5 王を笑う悪戯な石
「ほうらやっぱり行っちゃったよ」
王と蓮の花とのやりとりを見ていた
いたずら石は笑いました。
「どんなことが待っているかも知らないでね」
蓮たちは静かにゆれながら言いました。
「...きっと、あの王さまならうまくやってくるわよ。」
いたずら石は、また大笑い
「それは、どうかな....。
まあ、お手並み拝見だね。はは」
王さまの後ろ姿は、みるみる小さくなって
アンコールワットに吸い込まれて行きました。
既に、その巨大な建物の中には
誰ひとりいないことも知らずに....
6 花を紡ぐ少年たち
王は、アンコールワットの中で
誰かいないか叫び続けました。
回廊という回廊を歩き回りましたが
誰ひとりいないことに気づきました。
王は、絶望しながら、門を開け
橋を渡ってお壕の外に出ました。
そして、いくあてもなく
歩き続けました。
どれだけ歩いたかも忘れたころ
牛と少年の姿が目に留まりました。
最初は、しゃがみこんで
何をしているのかわかりませんでした。
じっと見ているうちに
何かに没頭していること気づきました。
少年たちは花を拾っては
一本の糸につないでいき
レイを作っていたのです。
そして、できあがったレイを
何も言わずに王に差し出したのです。
7花を紡ぐ少女の笑顔
さらに歩き続けると
王は、また小さな子供に会いました。
ふたりは姉弟でしょうか?
道路の路肩で
一心に何かをしています。
ふたりは花を摘んでは
黙々と糸に通していました。
道端に落ちた花さえ無駄にせず
美しい飾り物にしていました。
その尊い姿を見て
にっこり微笑む笑顔を見て
王はくよくよするのをやめたのです。
8 王が水浴した池「スラスラン」の輝き
その池は金色に輝いていました。
黄金の水面に吸い寄せられて
王は大切な使命を思い出しました。
そして元には戻れない
ある決意をしたのです。
9 母に抱かれて見た風景
王が、朝日で黄金色に輝く
スラスランの池で沐浴をしていると、
どこからか懐かしい歌が聞こえてきました。
それは遠い昔、聴いた子守唄。
見れば、池のほとりを
赤子を抱いた母親が歩いておりました。
その歌声を聞いて
王は母に抱かれて見た風景を
思い出していったのです。
10 怖いものがなかった時の記憶
王だった私が思い出したのは
少年の頃の記憶でした。
なにひとつ怖いものがなかった時代の思い出
未来を疑うことなどなかった時代の思い出
11 プレループの急階段と眺め
子守唄で甦った子供の頃の記憶。
先祖の霊を弔う寺院の急階段。
ここを昇れば、私が治めていた国の
すべてが見えるはず。
しかし...
一気にかけのぼった祠堂の上から
目に飛び込んで来たのは
私が知らない風景でした。
12 朽ち果て行くバンテアイ クデイ
王は、昔あれほど美しかった寺院が
崩れ落ちている風景を目にしました。
その痛々しい姿を見ると
自分の心まで傷つけられたような
気がしたのです。
砂は長い年月をかけて岩となる
その岩は祈りと共に寺院となる
美しい神や仏に、女神ともなる
しかし、ひとたび戦になれば
瞬時に崩れ落ちるのだ
そして大木にも足をさらわれ
また砂に戻って行くのだ。
王は、その無惨な光景の前に
ひざまずいて泣きました。
13 バンテアイ クデイを動かす根
崩れ行く寺院の前で、うなだれて泣く王に
やさしく語りかける声がありました。
「もう泣くでない」
泣くの休んで、あたりを見回しても
不思議なことに誰もいないのです。
「もう泣くでない」
その声は....声というより振動は
寺院をも動かそうとしている
巨大な根から聞こえてきました。
その根におそるおそる触れると
脈を打っているのがわかりました。
14 バンテアイ クデイで仏像と出会う
「寺院の中に入ってみよ」
巨大な根の声に背中を押されて
王は、壊れかけた寺院の中に
入って行きました。
天井が落ちた回廊を
歩き回っているうちに
突然、仏像が現れました。
かたわらには老人が座っていて
王にお線香を差し出しました。
王は手を合わせながら
仏さまの顔を見ました。
そのやさしくてあたたかい表情は
王の凍りかけた心を溶かしました。
そして、先ほど見た
名もなき子供たちのほほえみとも
重なって行きました。
王は、この時はじめて
自分の本当の使命を悟ったのです。
15 王の誓い。花売りの子供たち
仏像の前で、長い瞑想と祈りを終えると
王は、すっくと立ち上がりました。
そして、今一度、誰もいない
アンコールワットへと引き返したのです。
かえり道の橋の上で、
また小さな子供たちに出会いました。
王は、子供たちにあいさつをすると
子供たちもほほえみをかえしてくれました。
王は、三人をまとめて抱きあげました。
そして、心に誓いました。
「これから、私は、この国の
すべての子供たちの父となろう」
既に、朝日は高く昇っていました。
もう一度、おひさまは日の出の
あざやかな茜色に戻って
王を祝福したのです。
(おわり)
2014年02月26日(水)更新
【カンボジア視察6】アナコット カンボジア 田中千草さんの笑顔と教育改革
この細腕のどこにパワーが。絶望的な状況にあって、どこから笑顔が....。
カンボジアでお会いした尊敬すべき日本人のおひとり、田中千草さん。2007年に青年海外協力隊でカンボジアに赴任して以来、現在は単身、公立学校のアドバイザーとして、またNPOアナコットカンボジアのリーダーとして、草の根から同国の教育復興に奮闘努力されています。
とっかかりとして音楽教育で楽隊を指導されていますが、本当に目指されているのは、教師の意識改革と教育なのです。なぜ?それは同国の教育の現状を知ればわかります。
▼カンボジアにおける教育の現状
カンボジアでは1970年代からおよそ20年にわたって、内戦が続いた。
その内戦の中、1975年、ポルポト政権が成立。
共産主義を掲げたポル・ポトは、教育は資本主義を教え込む元凶と捉え、それまであった学校を次々に破壊し、教材や本を焼却していった。
それだけではなく、知識のある者は資本主義を生み出す敵として捕らえ、虐殺していった。その数は200~300万人と言われている。
この時、教育を行う教師は徹底的に捉えられ、虐殺されてしまった。
学校、教材だけでなく、教師も失ったことにより、カンボジアの教育基盤は完全に崩壊した。
ポル・ポト政権が失脚した後、生き残った人たちにより教育の立て直しが行われたが、ほとんどの教師を失った事実は、容易に乗り越えられるものではなかった。
教えられる教師がいないから、字が読めるだけの人が教師になった。
算数も国語も社会も理科も知らず、教育のことを何も知らない教師たちが教育を行うしかなかった。
そして、その時の教育を受けた子供たちが、今大人となり、教育を行っている。
▼田中千草さんのプロフィール
1978年北海道根室市生まれ、芦別育ち。学校卒業後、芦別小学校、茂尻中学校で勤務。 2007年1月より2年間、青年海外協力隊小学校教諭としてカンボジアの小学校に勤務。音楽教育を中心とした支援活動を行う。 2009年4月より、JICAという組織を離れ、個人としてワット・ボー小学校へ再赴任。 同年に非営利団体アナコット カンボジアを設立。 校長補佐として学校運営の助言、教員の指導と子どもたちへの音楽指導を行い、また就学が困難な児童への就学支援も行っている。 現在、家庭の事情により学校に通うことのできない子どもたちとともに暮らしている。
▼アナコットカンボジア
http://anacott.web.fc2.com/
2014年02月26日(水)更新
【カンボジア視察5】クメール伝統織物研究所 森本 喜久男さんが織りなす美しい服と人、そして村
ああ、なんと美しい出で立ちでしょう。身にまとう優しい色合い、輝き...そして笑顔。クメール伝統織物研究所の森本 喜久男さんとお会いできて、お話ができて、心から感動いたしました。身も心も暮らしも、何もかも美しい。ライフスタイルというより生き様、ファッションというより活きた服...全てに憧れてしまいます。
ご当地で活躍する日本人社会起業家のみなさんとの楽しい雑談ランチの後、森本さんにお願いして、ファッションを撮影させていただきました。特にお気に入りは、むかし木こりの人が履いていた作業着をもとにデザインされた袴。タイの生地を染めて作り、30年以上愛用しているそうです。
「作務衣はちょっと違うと思う」
森本さんの言葉に、我が意を得たり。日本人が着るべき、理想の服というのを、私は探し求めてきたのですが....この森本さんの服がまるごと欲しい。販売していないそうなのですが、ぜひ作ってもらいたいとリクエストいたしました。
「久米さん、ありがとうございます。うれしいです、この素敵な江戸時代からの木こり作業袴「たつけ」と岐阜の白山の裾野の石徹白村で呼ばれています。普段着やよそ行きで着れるパンツです。ジャージやジーンズがいらなくなりました。そんな、とてもスゴレもの、スムースで履いている違和感がない、すごい伝統の知恵の結晶だと思います。ぜひ、皆さんに履いていただき、広めたいですね。わたしの夢は、もういちど普段着の世界でのキモノが蘇ること。この江戸時代からのキコリパンツもそれに通じるものだと思います。釜石の方で地元の女性たちの仕事を作る事業を立ち上げておられる、元青年協力隊の女性がおられます、そんな方達に、仕事を作ることと、つながれば、なおいいですね。よろしくお願いいたします。(森本さんからのご返信)」
クメール伝統織物研究所のホームページで森本 喜久男さんのプロフィールを見れば、誰もが驚くことでしょう。美しいものと出会うことで、思いもしない方向に人生が展開することもあるのです。
京都生まれの手描き友禅の職人だった森本さんは、バンコクの博物館で目にしたカンボジアの絣布に魅せられます。そして、アンコールワットにほど近い地で「伝統の森・再生計画」に着手して、今では、自然と人間が共生する22ヘクタールものコミュニティを築き上げたのです。カンボジアの人たちの伝統的な美しい暮らしを取り戻す村を、日本の職人が作ったのです。
▼社会貢献支援財団 表彰者紹介ページより
http://www.fesco.or.jp/winner/h22/241.php
カンボジアの伝統絹織物である絹絣に魅せられ、 1996年にクメール伝統織物研究所を設立し、内戦により失われつつあったクメール織の技法復活と貧困層の支援のため活動を始めた。2003年にアンコールワットがあるシェムリアップの広大な敷地で「伝統の森プロジェクト」を開始し、養蚕、餌となる桑の植樹、染料になる虫の育成から糸を紡ぎ、染色、機織りと製品化までの全てがこの森で完結する伝統織物の継承とさらに食糧の自給生産から教育の全てをまかなうための施設を運営されている。
▼森本 喜久男さんのプロフィール
http://iktt.esprit-libre.org/2005/06/post-141.html
ぜひ、このYoutubeを見てください。パリコレよりも森コレに行きたい!と思うはず。
森本 喜久男さんが築き上げた「iKTT伝統の森」で、牛の神様の儀の後、「伝統の森」で、伝統の手仕事を学んだ女性たちが織りあげ身にまとった「IKTTの布ファッションショー」が開催された時の動画です。森も、人も、布も、何もかもが美しく見えます。デジタルやネットではなく、森の中で、輝く陽光の下で見たいのです。
▼カンボジア☆ユーチューブ情報局ブログ記事
http://www.cambodialife.mobi/cambodia/businessjapanese/1582
次回、アンコールワットを訪ねる時には、森本さんの「伝統の森」を必ず訪ねます。そして、おそろいの服を着ても似合う人になりたいのです。
▼IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
http://iktt.esprit-libre.org/
2014年02月25日(火)更新
【カンボジア視察4】鬼 一二三日本語教室
社会貢献支援財団の視察で、一二三日本語教室を訪ねました。鬼一二三さんは1995年よりアンコールワット遺跡への玄関口シェムリアップ州で日本語教室及び図書館を開き、日本とカンボジアの交流事業を続けています。
きっかけは、元のご主人がJICAにおつとめでカンボジア勤務となり、急遽、日本語教師になるように言われたこと。その後、ご主人とは離縁されますが、その後もカンボジアひとり残って、日本語教室を続けられています。
お手元にあるのは、鬼さんが作られた教科書「日本語ガイドの基礎知識」。この教科書が画期的なのは、フリガナ(ルビ)が上ではなく下に書いてあること。そうすると、下敷きなどを教科書に重ねて、下にずらしながら=答え合わせをしながら、効率的に勉強ができるのです。
▼一二三日本語教室とは
「一二三日本語教室」は世界遺産アンコールワットの在る観光地シェムリアップ州に位置し、月~金曜の午前5時~午後10時、入門~上級各レベルの日本語クラスを担当しております。 学習者の目的は主に日本語習得により観光業に携わること、日系NGO等へ就職することですが、近年日本への留学を目指す学習者も出て来ております。学習者は20歳前後の高・大学生を中心に、社会人、日本人配偶者や日系子女等3歳~40歳と幅広い年齢層の人々で、皆其々の目的に向かって熱心に学んでおります。 日本語ガイド研修・日本語能力試験対策・スピーチコンテスト出場者訓練等の短期集中コースも随時開講致しております。 昨今の学習者増加、職業別・幼児クラス等のニーズへの対応策とし、新校舎建設事業支援を行っております
http://www.ijci.net/p/blog-page_86.html
一二三日本語教室の教育スタイルは、学校というよりも、むしろ私塾。鬼 一ニ三さんは、先生というよりお母さんでした。
20日で10ドルという低価格で、来られる時間にやってくる学生たち。家族や親戚を大切にするので、家の手伝いもあり、フルタイムは難しい子供たちも多いからです。また、突然、来なくなる学生もいるそうです。気がつけば、どこかに就職していたりする。そして、突然、復帰したりする。日本流で言えば「不義理」となりますが、カンボジアでは当たり前。そんな時でも、鬼先生は受け入れるそうです。
ここにいるのは、何年も学んでいて、スピーチコンテストにも入賞する優秀な教え子たち。絆プロジェクトで東北の被災地を訪ねてくれた学生や、日本での留学や就職を夢見る学生もいます。
ここにも学生たちの川柳が張り出されていました。鬼 一二三先生は、夢を持てばかなうと、書き初めや川柳で夢を言葉にすることを推奨されているそうです。印象に残った川柳をいくつかご紹介しましょう。
カンボジア いつまでもずっと いたいです
こいびとが なければいきる いみはない
がんばれば 成功するぞ 何事も
わたしには どこでも だれでも せんせいだ
べんきょうは としをとっても おわらない
けいけんに かねとがくもん ひつようだ
きょういくは 国の心に なるべきだ
うそみたい 日本語うまく なってきた
金持ちも 私の心は 買えないわ
ゆめきぼう しあわせになる ちかみちだ
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鬼 一二三先生は、才能あるカンボジアの若者=教え子たちが、日本の大学に留学したり就職することを、とても嬉しそうに話されます。同席した「知恵熱くん(みんなあだ名で呼び合います)」の日本語も秀逸でした。絆プロジェクトで日本に行ったこともあるのです。いつか日本に留学して、私の明治大学の講義にも参加してもらいたいものです!
https://fbcdn-sphotos-a-a.akamaihd.net/hphotos-ak-ash3/t1/p526x296/1939880_10152246010704648_1624824636_n.jpg
最初に校舎を目にした時は驚きました。見てください。実は、予算の関係で、まだ校舎は建築途上なのです。20日10ドルの授業料で、それも住み込みの学生まで養ったり、進学の支援をしたりで、なかなか建築は進みません。教育は、校舎よりも先生や先輩が大切です。それでも、いつか篤志家のみなさんや立身出世した教え子の寄付で、立派な校舎が建つ日が来ることを祈っております。
▼一二三日本語教室
http://www.ijci.net/p/blog-page_86.html
2014年02月24日(月)更新
【カンボジア視察3】カンボジア孤児院だるま愛育園
私たちのクルマが到着するのを見ると、子供たちが駆け出してきてくれました。こんなに目がキラキラした子供たちに歓迎してもらえるとは思いませんでした。なぜなら、ここは孤児院だからです。
ここカンボジアでは、悲惨な内戦で家族を失った子どもだけではなく、貧しさや親の無責任から捨てられる子どもも少なくありません。そんな子供たちを一人でも救おうと、僧侶の内田 弘慈さんと、園長のソリカさんが力を合わせて、この孤児院を作り守っているのです。
「ここにいる45人の子供を、大人にして助けて行きたい。私が倒れるまでがんばりたい」
ソリカさんは、園長というより子供たちのお母さんでした。500人近い孤児たちを守り育ててきました。
「田舎には大変な子供がいっぱい。井戸掘りも行く。お水が一番大事」
内田 弘慈さんが始めた井戸掘りは、既に810本にものぼり、1000人もの貧しい田舎の子供たちを助けたのです。
「ポルポト内戦の時、自分も助けられたから、もっと自分も助けたい」
その一心で、内田さんが病気で倒れ、車いすの生活となった後も、引き継いで続けているのです。(手前左側が内田さん)
カンボジアの田舎の子供たちは貧しく、教育が受けられません。日本のように年齢で学年が決まるわけではなく、12歳でも小学1年生の子がいるのです。田舎では生活できないため、親は他の国に出稼ぎに行きます。中には、帰って来ない親もいます。おじいちゃん、おばあちゃんは年を取ると子供たちを預かれなくなってしまいます。やがては、どろぼうになってしまうこともあるのです。
「子供たちの夢は日本語ガイド、ドクター、日本の会社につとめること」
注)カンボジアの学校は、午前、午後に分かれているので、
写真には全員は映っていません。
だるま愛育園で現在暮らす子供たちは45人。3歳から21歳までいるそうです。お兄ちゃんお姉ちゃんが、小さな子供たちの面倒を見たり、目標になったりするのです。
学校の勉強だけでなく、将来の夢に合わせて、日本語やITの勉強をしたり、伝統芸能などの習得も応援しています。
ガムランの演奏も聴かせていただきました。彼女は、日本語も堪能で、今春、福岡でインターンをするそうです。
園長のソリカさんは、こうして子供たちが夢をかなえていくこと、家族を作って訪ねてくれることが、何より幸せだそうです。
どうです? この自信に満ちた顔。凛としたたたずまい。
子供たち全員の歓迎の歌はかわいらしく、一緒に輪になって踊った歌も楽しかったのですが、このレベルの高い舞踊に驚きました。
カンボジアの民族舞踊を愛し、生徒にも稽古の機会を提供している、山本日本語教育センター山本校長も、彼女たちの踊りを褒めていました。
ただ日本語を学ぶのではなく、地元の文化も継承して欲しいのです。
だるま愛育園には、子供たちが手しごとで作った商品を、自ら販売する、小さな工房ショップもあります。
私たちは、おすすめのカシューナッツをお土産に買いましたが、こんな笑顔に囲まれて買い物をすると、なんだか幸せな気分。
だるま愛育園を応援する「カンボジアこどもスマイル」のホームページでも、現在は2商品だけですが販売しています。私も現地で買いそびれたハッピーブレスレット(10本セット2000円)を買おうかな。
▼ようこそ、DARUMA SHOP へ!
カンボジア孤児院だるま愛育園の自活、そしてそこに暮らす約55名の子ども達が将来自立できる力をつけるサポートをするために、ここにDARUMA SHOP をオープンしました。
だるまの子ども達が一生懸命手作りしたものを中心に扱っています。
(子ども達手作り商品はmade by daruma表示)
商品としては、まだまだ立派なものではないかもしれません。
しかし、夢へ向かっての行動をサポートするフェアトレードとしてあたたかく見守り、子どもたちのぬくもりを感じられる作品を気に入って頂ければと思っています。
お買いものすることで、彼らの夢を実現するお手伝いができます。
売上は、子どもたちに最大限還元されるよう使われます。
http://www.ccsmile.net/shop.php
▼社会貢献表彰「だるま愛育園 内田 弘慈さん」
http://www.fesco.or.jp/winner/h20/225.php
▼NETIBニュース 孤児448名を送り出す、だるま愛育園
http://www.data-max.co.jp/2013/09/27/448_dm1806_4.html
▼だるま愛育園。日本での応援窓口
http://www.ccsmile.net/
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