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2006年11月14日(火)更新

現代の僧医をめざす禅僧 対本 宗訓さんにお会いする縁起

構想日本の加藤さんから届いたメールマガジンで、
東京青山の相国寺東京別院で開かれている高僧墨蹟展を知りました。

最終日の夕刻、日も暮れかかる頃、ひとり門をくぐって
「ごめんください」とお声をかけましたが、
どなたもいらっしゃらないようです。

やむなく失礼とは知りつつも、会場の二階に足を運びますと、
そこにいらっしゃった方が対本 宗訓さんその人だったのです。

(その時は気づかず、不勉強でお恥ずかしい限りです)

そこに並んだ名だたる高僧の墨蹟の素晴らしさや、
お庭を見ながらいただいたお茶の美味しさも
もちろん深く心に染み入りました。

しかし、帰り際に対本さんにお声をかけていただいて、
お話を伺うご縁をいただいたことこそが
何よりありがたいことでした。


    禅僧が医師をめざす理由

対本 宗訓さんのプロフィールを
「支援する会」のホームページから引用させていただきます。

「対本宗訓師はかつて最年少の若さで臨済宗一派の管長に就任し、
 法燈護持のかたわら伝統宗教に新たな生命を吹き込もうと
 その叡智を傾注してこられました。

 特に、各地からの求めに応じた講演活動や医療従事者を志す
 学生たちへの講義、多くの医師とともに緩和医療(終末期医療)
 の現場を考える中で、宗教者も現代医学を修めて生老病死の臨床
 に立つ必要性を痛感し、辛酸努力の末に医学部進学。

 6年間の功成ってめでたく卒業とともに、医師国家試験にも
 合格され、現在研修医として研鑽と勉学の日々を送っておられます。」

今の私より少し年上の40代半ばで、管長職を投げ打って一念発起、
ゼロから再スタートで医師を目指されたと聞き、仰天いたしました。

しかし、もっと驚きましたのは、
対本 宗訓さんの静かで大きな存在感でありました。

あくまでも謙虚で、ひとつとして威張ったところがありません。
私ごときのたわ言にも耳を傾けてくださいました。

穏やかな笑みをたたえながら泰然自若とされています。

それでいて、なぜか初対面でも親しみを感じてしまうので、
思わず色々と話を差し上げたくなるのです。

まさに、問診をしていただいているだけで元気がわき
自然治癒能力や免疫力が高まりそうな感じです。

これこそが「僧医」の要件であり心得なのでしょうか?


   坐禅―“いま・ここ・自分”を生きる

このご著書を買い求め、一読して、さらに驚きました。
ともすれば難しくなりがちな禅のお話を、
とてもやさしくわかりやすくお書きになっているのです。

時にはキリスト教のお話も例えにだされるなど
とらわれずこだわらず自由に書かれています。

心に残る一節が書かれたページの端を折り曲げているうちに
折り目が増え続けて、すっかり本がぶ厚くなってしまいました。

中でも、こんな一節が心に響きました。

「ところが、縁起的存在である<自分>を究める修行をしていながら、
 伝統的な仏教の世界では、ややもすれば他者へのはたらきかけに
 乏しくなってしまいがちなのはなぜなのでしょうか。(中略)

 今一度、「他者とのネットワーク」を意識した坐禅の実践を
 考えてみなければならないと思います。」

こうした想いが、対本さんを僧医へと駆り立てたかもしれません。

私も、おかげさまで人生の折り返し点を過ぎましたので、
これからはお返しをすることを考えながら生きたいと思うのです。

そして、対本さんの僧医プロジェクトにも何らかの形で
貢献できればとありがたいと感じたのです。


 ▼現代の僧医をめざして
  http://www.sokun.net/

 ▼対本宗訓氏を支援する会
  http://www.soui.org/index.html


久米 信行縁尋奇妙
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